内閣府主催「子ども・若者育成支援のための地域連携推進事業」北海道・東北ブロック研修会に参加した際のレポートをリライトしました。(開催日は2014年10月24日。結構前の話です。)
3年も前の話なので環境が変わっていますし、現在とはそぐわない内容もあるかもしれませんが青少年事業に関して本筋はブレてないと思い、書き直してみたいと思います。
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人材育成において、アトム型がいいか、鉄人28号型がいいか
講義はアトム型か鉄人28号型が良いかと言う問いから始まった。
どういう意味なのか最初良くわからなかったけど、なるほどそりゃそうだと言う話し。
アトム型は自分で考え、判断し行動する。感情が己に存在しているパターン。
そしてもう1つは、鉄人28号型。鉄人28号型というのは操作する人(周りの大人)によって善にも悪にもなる。
大人が子どもをコントロールすると言う意味。
子育てをロボットに例えると印象悪く感じる人もいるかもしれませんが、イメージとして捉えやすいと言うことで話されていたと思います。
自分の気持ち(思いやりなど)で主体的に人と関わることと、親(大人)のいいなりで自分で判断できず言われるままの状態で関わることについて言っています。
もちろんアトム型を念頭に入れた人材育成をしなければいけないと言うことですね。
異なる価値観や背景
これからの時代、様々な価値観や生まれた場所や生活する環境による背景の違いを受け入れることが大事です。
正解のない課題や経験のない問題にぶつかる機会も多くなる。正解ではなく自分が納得できる解答、納得解を見つけ出せるようにならなければいけない。
価値観の違いを共感するためには体験が必要。体験していない事に共感するのは難しい。とは言え
例えば、私たちは梅干しをみて酸っぱさを感じ唾が出るように、経験から生まれる感覚は外人が梅干し見ても唾でないと言う事からも分かる。
お金が欲しい
どこの統計だったか忘れたけど、子どもの働きたい理由の1位は「お金が欲しい」。
お金のためなら何でもするだと困る。麻薬の密売とか法に触れる事でも金が欲しいと言う感覚にならないように、働く=金だけではない価値を理解出来るようにしなければいけない。
そもそも、働くと言うのは誰かのために何かしたいと言う感情が根底にあるのでは無いだろうか。
小さい頃にお手伝いして親に喜んでもらえたことが働くの基本だと思っています。大切な人が喜んでもらえることがいちばんの報酬だったのかもしれません。
命のイメージの湾曲化
命に対する感覚の変化。「生き返る事が出来る!」と感じている子ども少なく無いようで、バーチャルな世界の影響が表れている。セーブしとけばやり直せる。生まれた頃からゲームばかりやっているとそんな感覚になるのはわかるような気がします。
生き返れると思っていないにしても、映画の影響やゲームによって人生をリセットできる感覚が生まれている事実はあるでしょう。
コミュニケーションの大切さ
挨拶ができるか。当たり前の事ではあるけれどもやはり挨拶は大切な事です。
他世代の人とコミュニケーション取れないと社会では通用しません。企業が学生の選考で最も重要視するのは9年連続コミュニケーション能力らしいですが、それに関わらずまずは相手に対して敬意を示す、もしくは相手を認める・認めてもらう意味でも自身の気持ちを伝えるコミュニケーションは大事になります。
コミュニケーションの方法の変化
リアルではなく、ネット・スマホ・ラインとか「メディアコミュニケーション」の発達。それが悪いと言う事ではなく、そう言う社会になったと言う事を理解しなければいけない。
LINEやSNSなどコミュニケーションの方法が大きく変化しています。
このような間接的人間関係は人と関わる事に対し臆病にさせる場合もあります。極端な意味だと、自立への歩みを遅らせ、歪んだものにするかもしれません。
文字によるコミュニケーションが増えましたし、コミュニケーション取らなくても暮らそうと思えば暮らせる時代になったのかもしれません。
体験活動の重要性
機会の提供のタイミングも大事。
低学年:友達との遊び、動植物との関わり
高学年:地域活動、家族行事、家事手伝い
などそれぞれによって必要な体験は違いがあります。
体験の種類
生活・文化体験:お手伝いやふだん放課後などの友人との遊び
自然体験:登山やキャンプ、星空観察などの野外活動
社会体験:ボランティア、職場体験など
青少年育成の課題:別の視点
体験活動の機会の格差。親の余裕がなければ参加できない事実。ここがいちばんの肝であります。
もともと意識が高い親は黙ってても参加する。届けたいところに届いていないのでは?保護者の育成も青少年育成の一つとなる。
保護者以外にも周りの大人の影響は大きい。少子高齢化の現在、子どもの数が減少したことで1人の子どもに対する大人の数は圧倒的に増えている。子どもに挨拶をしなければいけないと伝えたとしても、挨拶した相手(地域の大人)などが挨拶を返さなければその子は挨拶しなくなってしまう。